第一の疑問「どうして卵はあんなに眠るのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の午後は眠い。

 

その時も、僕は重力に忠実たらんとする瞼たちをなだめすかして、何とか視界を確保していた。

春の午後は眠い。それがお昼休みの後で、しかも数2の授業とくればなおさらだ。

前方では、教師が黒板によくわからない記号を並び立てている。

 

 ああ、眠い。

さっきから上の瞼は下の瞼に熱烈なラブ・コールを贈っているし、額は机に向かって一直線に着陸しようと躍起になっている。

 こんな、何に使うのかわからない呪文みたいな式を、前後左右のクラスメートたちは黙々とノートに写し取っている。

たぶんみんな、サインコサインが何のためにこの世に在るのかなんてわかっちゃいない。もしかしたら、先生だって理解していないかもしれない。

 

 僕はため息をひとつ吐いて、シャーペンを置いた。

ふと見ると、斜め前方の席で、見慣れた黒い頭がこっくりこっくり舟をこいでいた。

 

あーあ。また寝てるよ、珠子のヤツ。

つやつやサラサラの長い黒髪が、頭の動きに合わせて揺れている。こっくりこっくり。ユラユラ、ゆさゆさ。

珠子は、授業中は概ね寝ている。

授業中どころか、休み時間も寝ている。下手をすると放課後も屋上で寝ていたりする。どうやったらあれだけ眠れるのか、僕はいつも大いに疑問だ。

 

あいつは昔からよく眠るやつだった。

遊びに行けば野原で眠り、朝学校に来て眠り、昼を食べて眠り、家に帰ってまた寝る。

あんまり見事に寝ているものだから、夜更かしなのかと疑ってみたこともあったが、どうやら夜もぐっすり寝ているようである。

というのも僕の家は珠子のすぐ隣で、珠子の部屋に遅くまで明かりが付いていれば僕にもわかるのである。

 

そう、僕と珠子は、俗にいう「幼馴染み」というやつだ。

男友達の中にはうらやましがる奴もいる。珠子は女子の中ではそこそこ可愛らしいほうで、

しかも固まってヒソヒソ噂話をしたり男子を馬鹿にしたりしないので、クラスの男子からおおむね好意をもたれているようなのだ。

しょっちゅうそばにいる僕にはよくわからない心理だ。それに、あいつと友達でいたって得することなんか何一つない。断言したっていい。

実際、僕は物心ついてから今まで、珠子の後始末ばっかりさせられてきたのである。

思い出すと腹が立つからあまり考えないようにしているが、それはもう多岐に渡り迷惑をかけられまくったといって過言ではない。

一緒に遊んでいたらいつの間にか姿が見えなくなり、日が暮れても散々探しまわって帰ってみたら自分はちゃっかり家でお茶を飲んでいたり。

ちょうちょ結びを憶えたといって、よその家の猫のしっぽやら首やらに家じゅうのリボンを結びつけていたのを発見し、

こんなことしたらダメだと叱ったところに折悪しく飼い主がやってきて僕もいっしょに怒られたり。

 そんなわけで、「可愛い」だの「清楚」だの「神秘的」だの言われても、僕にとっては何のこっちゃ、なのである。

 

 そんなことを思い出しながら、揺れる珠子の頭を見ていたのだ僕は。

こっくりこっくり、ユラユラ、ゆさゆさ。がったん!

・・・・・がったん?

なんだか大げさな音を立てて、とつぜん珠子の頭が視界から消えた。

な、なんだ?

思わず立ち上がって珠子の席を見る。無人になった椅子が、珠子の不在を主張している。

珠子はどこへ行ったんだ?

しばし呆然として、それからはたと気がついた。

そうだ。今は授業中だったんだ。

慌てて教室の前方を見る。教師に叱られる――――と、思ったからだ。

だが、予想した叱責も皮肉もチョークも飛んでは来なかった。

それどころか、何の物音もしない。

教室は、がらんどうだった。

いつものように並んだ机といすたち。教卓、黒板、ロッカーに掃除用具入れ。

「遅刻を無くそう」と書いたポスター。

いつもと変わらない教室の風景。だけど、何かが間違った風景。

そう、教室はがらんどうで、教師も生徒も誰もいないのだ。

さっきまでみんないたはずなのに。

いったいどうなってるんだ?

僕が目いっぱい混乱していると、かすかな音が耳に届いた。

何だ?どこから聞こえている?

それは、笛の音だった。ざわざわするような、踊りだしたくなるような、それでいてひどく眠気を誘う音楽。

しばらく探していると音源はすぐに分かった。

机だ。

笛の音は、珠子の机の中から聞こえているらしい。

僕は不思議に思いながら、机の天板に耳をくっつけてみた。

その途端。

がたんと音がして天板が内に向かって開きあっという間に世界が反転し、床が天井になり、机の群れが視界を斜め横断して、僕はたちまち真っ暗闇を滑り落ちて行った。

 ああ、珠子もこうやって机の中を落ちて行ったんだな―――

滑り落ちながら、僕はいまさらそんなことを考えていた。

 

 

ペエジ

 

 

 

 

 

 

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